アルフレッド・エスキーリョ Alfredo Esquillo Jr.
1972年、フィリピン、ケソンに生まれる。1993年、サント・トマス大学美術学部を卒業。カビテ在住。
[招へい] 2001年5月15日〜2001年8月14日
交流活動
エスキーリョは、フィリピンの乗り合いバス、ジープニーを模した立体作品「天国への旅」を制作した。自転車とリヤカーを使って骨組みを作り、側面や屋根にキリスト教の図像や福岡に住むフィリピンの人たちの写真などを用いたバニグ・ペインティング(織絵)で装飾した。その作業に忙殺され、多くのボランティア・スタッフが制作を補助した。
帰国直前に、パフォーマンス「天国への旅」を交流ギャラリーでおこなった。それは、積み深い信者が天国への道を探し求めるというもので、バラバラになった部品を組み立ててジープニーを完成させ、それに乗って空き缶の壁に突っ込んだ。
活動スケジュール
5月15日
福岡に到着。
5月16日
「アジアフォーカス・福岡映画祭2001」ポスター制作の打ち合わせ。
5月19日
あじびホールでボランティア・スタッフに滞在中の活動予定を説明。担当ボランティア・スタッフが決まる。
5月21日
後小路学芸課長がアジア美術館の概要等を講義する。
5月22日
制作の材料を探しに市内の材木屋や金物屋に出かける。この頃から本格的に制作がはじまる。
6月4日
九州産業大学の黒岩俊哉氏が地元協力美術作家となる。
6月7日
搬入口で制作をはじめる。
6月12日
福岡市美術館を訪問。
6月16日
太宰府へスケッチ旅行に出かけたカム・タンに同行する。
6月18日
ボランティア・スタッフと織絵の編み作業を開始する。
6月23日
黒岩俊哉氏、九州芸術工科大学の津田三朗氏と制作について協議する。
6月30日
九州芸術工科大学で、津田三朗氏とともにジープニーの骨格をリヤカーと自転車を使って制作する。
7月1日
九州芸術工科大学で制作したリヤカーと自転車をアジア美術館まで運ぶ。
7月5日
アジアギャラリーでギャラリー・トークをおこなう。
織絵を制作するためのパネルに等間隔にピンを打つ作業をおこなう。
7月6日
カム・タンの若宮小学校のワークショップに同行する。
7月7日
市内の画廊を訪問。「河地知木展~experimental typography~」(アートスペース獏)、「REAL AND IMAGINARY FLOWERS TOMATO PROJECT」(三菱地所アルティアム)、「台湾現代芸術序幕系列 Vol.9/劉世芬」(MOMAコンテンポラリー)を見る。
7月8日
ボランティア・スタッフ20数名が、A3の用紙に日本的なイメージを描き、ラミネート加工する。
その後で、みんなで織絵を編む。
7月13日
春吉小学校でワークショップをおこなうことになり、ボランティア・スタッフとともに準備を始める。このころから大量の空き缶を集め始めはじめる。ボランティア・スタッフが集められた缶を洗浄、選別する。
7月14日
リクリット・ティラバーニャ「2001(パッセージ・コスモ)」(CCA北九州プロジェクト・ギャラリー)のレセプションに出かける。
7月15日
早朝、博多祇園山笠追山を見物。
7月18日
春吉小学校でワークショップをおこなう。(61人参加)
7月21日
「中世博多展」(シーサイドももち海浜公園)に出かける。
7月26日
パフォーマンスで使うシーツ70枚を集め始める。
7月29日
交流ギャラリーで「アジア親子塾 エスキーさんの織絵教室」を開催。(37人参加)
7月30日
交流ギャラリーで香椎第2中学校美術部に授業をする。(18人参加)
8月8日
ボランティア・スタッフが、シーツを縫い始める。
8月10日
パフォーマンスの準備が深夜まで続く。
8月11日
交流ギャラリーでパフォーマンス「天国への旅」をおこなう。(106人参加)
8月12日~26日
交流ギャラリーで滞在制作作品を公開。
8月14日
帰国