ナリニ・マラニ Nalini Malani

1946年、インド (現パキスタン) カラチ生まれ。 1969年、 サー・J・J美術学校で学士号 (美術) を取得する。 1970年 からはフランス給費留学生としてパリに留学。 その後、ア メリカ、シンガポールなどでアーティスト・イン・レジデンス に参加する。 展覧会では、数々の国際展に出品するなど海外での活躍もめざましい。最近では福岡アジア美術館で 制作した「ハムレットマシン」のようにビデオ映像を使った 作品に多く取り組んでいる。
[招へい] 1999年9月16日〜2000年3月15日
交流活動
ナリニ・マラニは、すでに中堅のアーティストであり、作品制作、滞在活動についての真摯な態度や綿密な計画など、当館としても 今後のレジデンス・プログラムを続けるにあたり参考になることが多かった。 特に主要な作品となった「ハムレットマシン」に関しては、その制作プランを中途で大胆に変更したり、展覧会カタログを「ハムレットマシン」のためだけのものにしたりするなど、それにか けるエネルギーにはスタッフも圧倒され、アーティストの作品へ込める思いを知る良い機会となった。 また週に1回のペースでスタッフとのミーティングを実施し、一つ一つ問題点をクリアしては活動スケジュールを調整するといった、目標を実現するための煩わしい作業も厭わずおこなった。市民との交流は、博多小学校での牛乳パックを使ったワークショップ、そこで制作した作品の展示、ボランティア・スタッフとのビデオ・アートの共同制作、OHPシートに絵を描くワークショップなど熱心に取り組んだ。 また、 「ハムレットマシン」の制作では、地元の舞踏家・原田伸雄氏をビデオ撮影し、ジャンルの異なる芸術家との交流も実りあるものとなった。
活動スケジュール
9月17日
福岡に到着 。
18日
あじびホールでボランティア・スタッフに滞在中の活動予 定を説明。担当ボランティア・スタップが決まる。
10月9日
「秋のボランティア研修旅行」に同行し、北九州市立美術館 現代美術館センターCCA北九州などを訪ねる。 (49人参加)
中旬
映像資料室でビデオ・アニメーション 「しみ」のためのペインティング、撮影を開始する。
14日・16日
アジアギャラリーで自作 「略奪された岸辺」を前にギャラ リー・トークをおこなう。 (100人参加)
18日
福岡の働く女性のグループとフェミニズムやジェンダー 問題についてディスカッションをおこなう。
27日
博多小学校5年生を対象に牛乳パックに絵を描くワー クショップ「内と外」をおこなう。 (62人参加)
30日
博多小学校でのワークショップで生徒と共同制作した作 品「内と外」を7階ロビーに展示。
11月6・7日
交流スタジオでボランティア・スタッフを対象に、OHPシ ートに水彩絵の具やエナメルを使って描くワークショップ を開催する。 (15人参加)
初旬
ビデオ・アート 「1998年5月11日」の制作を開始。 ボラン ティアスタッフが作品の素材となる雲を撮影し、 ナリニ が編集して仕上げる。
12月 1日
九州ビジュアルアーツにビデオの撮影や編集、機材貸出 などの協力をお願いに行く。 初旬
アジアギャラリーに展示中の作品 「略された岸辺」に、 その場でドローイングを追加する公開制作を実施 。
中旬
ビデオ・インスタレーション「ハムレットマシン」の制作を 開始する。 アニメーション部分のペインティングや撮影で 試行錯誤を繰り返す。(結局この部分はクオリティー等の 問題で作品には使用されなかった。)
下旬
ボランティア・スタッフが実写部分に使用する映像を撮影 するロケ地を調査する。
1月30日
撮影室で舞踏家・原田伸雄氏をビデオで撮影する。 (2月 初旬まで)
2月初旬
編集をおこなう。
中旬
ナレーションや効果音の録音・編集をおこなう。
下旬
映像と音声の最終調整をおこない、 展示室に設置するビ デオプロジェクターの位置を調整する。
3月11日
交流ギャラリーで 「第1回アーティスト・イン・レジデンス の成果展」が始まる。 あじびホールで開催記念のアー ティスト・トークをおこなう。(65人参加)
16日
帰国。