美術作家 ミャンマー

ミョ・タン・アウン Myoe Thant Oung

2004年度 招へい

1965年、ミャンマーに生まれる。シュエ・オウン・タメらミャンマーの著名な画家たちに絵画を学び、人物や風景、草花をモチーフにした写実的な絵画を制作している。毎年ミャンマーで開催している美術展「シュエ世代」の企画者としても活躍。


[招へい] 2004年5月11日〜2004年8月8日

交流活動

伝統衣装を着たミャンマーの山岳民族の老人や福岡に住む老人の肖像画を写実的な描法で克明に描いた。また、小学生を対象にしたワークショップでは、子どもたちが同じ地域に住む老人たちの肖像画を描くことで、地域の人々の世代間の交流を図った。

活動スケジュール

5月11日  
福岡に到着。ニックネームはMTOだというが、あまりに素っ気ないので「ミョさん」と呼ぶことにする。
5月12日  
滞在制作について協議する。地元の老人をモデルに絵画を制作することに。
5月13日  
「台湾現代美術展 The New Identity Part-5」展(三菱地所アルティアム)のオープニングに参加する。
5月15日  
ボランティア・スタッフに滞在中の活動予定を説明する。
5月17日  
交流スタジオで滞在制作を始める。
5月20日  
九州大学芸術工学研究院、石川幸二教授の授業の一環として、芸術情報設計学科の学生からインタビューを受ける。
6月2、4、7日  
美術館周辺や郊外を回り、絵画のモデルになってくれそうな老人を探す。
7月1日  
福岡県内にあるアートスペース千代福、共星の里、石橋美術館を訪問する。
7月9日  
滞在制作作品「日本庭園」が完成する。残りの絵画も急ピッチで仕上げる。
7月14日  
6点の絵画が完成し、企画ギャラリー入口横の壁面に展示する。
7月27日  
奈良屋公民館で小学生を対象にしたワークショップをおこなう。近隣に住む6人のおじいちゃん、おばあちゃんをモデルに、参加者たちは画面いっぱいに味のある肖像画を描いた。(参加者:小学生18人、モデル6人)
7月30日  
前回のワークショップに参加した小学生がアジア美術館を訪れ、交流スタジオで写真を用いたミョさんのやり方で、写実的な肖像画を描くワークショップをおこなう。参加者全員が完成できず、8月2日から5日までに仕上げることにする。(参加者:小学生17人)
8月7~17日  
「第6回アーティスト・イン・レジデンスの成果展 パート1」を開催。お世話になった人たちが数多く集まり、作品の前でアーティスト・トークをおこう。
8月8日  
帰国。

アーティストの言葉

「信じるもののある生活」

アートは単なる信条でしかない。
いくつかの批評は批評家自身によってつくりだされた。
それらすべては一時的な流行が産んだアートの概念である。
アートは美術作品の上に間違いなく生き続ける。
それこそがアートの永遠なる真実である。
アーティストはそのアートの真実を偽りのない心をもって懸命に探求し、際立たせることができる。
アーティストは自らをアーティストであると言うことはできない。
美術作品こそが誰がアーティストなのかを明らかにするのである。

 福岡アジア美術館の皆様、そしてボランティアの皆さん、本当にいろいろとありがとうございました。
 福岡アジア美術館から招待を受けたとき、私はとても嬉しく思いました。私の人生にとって、そして、私の美術にとっても素晴らしい機会が与えられたからです。また、小学生たちとのワークショップは、とてもいい経験でした。
 私はこの3ヵ月の滞在期間のなかで、ミャンマーと福岡の人を2人ずつ描きました。そして、その中央にあるのは仏陀の絵です。この作品は信念をもって生きることを表現しています。人はいくつもの信念を持っています。しかし、すべての人はある共通した信念を持ってもいます。それは、最期の眠りについての信念です。人はどのようにしてこの人生の危機を乗り越えるのでしょうか。

ある人は現在の幸せを追い求めます。
またある人は来世の幸せを追い求めます。
しかし、またある人は輪廻からの解脱を追い求めます。

人生には目に見える感傷があります。
この作品は私の感傷を表しています。

 美術について言えば、私は自分の作品について何も言うことはありません。常に自分は不十分だと思うからです。皆さんが私の絵をいいと思ってくださるなら、これで十分だと満足しないでください。まだ足りない部分があると思いますから。私の絵をよくないと思われるかたには、完全なアーティストでなくて申し訳ありません。しかし、私は絵を描くときにはいつもベストを尽くして描いています。

ミョ・タン・アウン
                           

(訳/高木のぞみ)