協力企画展

中国第12回全国美術展受賞優秀作品による「現代中国の美術」 百花繚乱 中国リアリズムの煌めき

期間
2016年4月16日 (土) 〜 2016年5月22日 (日)
会場

企画ギャラリーA/企画ギャラリーB/企画ギャラリーC

中国政府が主催する「全国美術展」は、1949年の建国以来5年に一度開催される、中国で最も大きく、権威ある公募展として知られています。中国全土から数万点の応募があり、何度も選考を経て、最後に受賞作品約600点が北京の中国美術館に集められます。本展は、その2014年末に開催された「第12回全国美術展」からさらに厳選した中国画、油彩画、水彩画、版画、漆画、アニメーションなどの作品、合わせて76点を日本で紹介する展覧会です。2メートルを超える大画面に雄大な自然や都市空間、人々の暮らしなどが圧倒的な描写力で描かれた驚異のリアリズム絵画(写実表現)が一堂に会します。百花繚乱のごとき現代中国美術のエネルギーをぜひご体感ください。

 

油彩画/壁画/ミクストメディア
西洋で発達した油彩画(油画)の技法が中国に初めて伝えられたのは、清代中期(17世紀後半−18世紀中頃)のことです。西洋の宣教師が中国に渡り、清朝宮廷の絵師となって西洋画の技法(陰影法、遠近法など)で油彩画を描きました。その後、貿易港として栄えた広州や上海でも、西洋人画家が本格的な油彩画の技法を教え、それに学んだ中国人画家が高度な技術を習得し成熟させていきました。
20世紀初めの近代中国では、日本への留学や美術交流から西洋画教育が始められ、現在の「全国美術展」の前身である「教育部第一次全国美術展覧会」(1929年)には、日本の洋画家も出品しています。1920年代には、ヨーロッパへの留学も始まり、帰国した徐悲鴻じょひこうらが中国油彩画の基礎を作ります。戦後、新中国成立(1949年)以後は、農工兵でも理解できるような美術の大衆化と社会主義リアリズムの傾向が強くなります。特に油彩画家は革命戦争を題材とする歴史画を描き、その多くは第2回「全国美術展」(1955年)に出品されました。1950年代になると、ソ連や東ドイツの美術に学ぶようになり、社会主義リアリズムの基礎はゆるぎないものとなりました。文化大革命期(1966-77年)は、社会主義建設や革命戦争の英雄を称揚する作品だけが許され、画家の個性が薄れました。
改革開放の1980年代になると、西洋近代美術と欧米の現代美術が一気に流入し、青年美術家たちは新しい美術概念や材料、表現形式を取り入れ、現実批判をテーマとする自由な創造を求める運動を起こしました。こうした新しい潮流を取り入れた油彩画家たちは、その後、現代美術作家として国内外で大きな注目を集めるようになります。並行して、アカデミックな古典的画風で、農村の風情や少数民族を描く油彩画家も活躍しています。どちらも中国の経済開放政策で興隆した美術市場で売買され、美術の商品化、国際化が進みました。
このように、中国美術界には、1980年代以降、中国伝統芸術、西洋的なリアリズム絵画、現代美術という3つの系統が存在し、相互に影響しつつ現在にいたっています。こうした変化のなかで、今回の「全国美術展」の油彩画部門では、急成長した都市や庶民の日常生活をありのままに描いた作品が多く見られ、リアリズム絵画の伝統を受け継ぎつつも、個人の感性や表現が加わるようになったといえるでしょう。

 

彫刻
中国の彫刻には、古くは秦の始皇帝の兵馬俑へいばようから、仏教や道教の礼拝像などがありますが、20世紀初頭に西洋美術がもたらされるとともに、中国近代彫刻が始まりました。若い作家たちは欧米や日本に留学して西洋美術を学び、帰国後、各都市の美術大学に設立された彫刻科で教えました。中華民国期に彫刻は発展を遂げ、記念碑的な巨大な公共彫刻が作られるようになり、その後、社会主義建設が進むなかで、政治家や英雄などを力強く造形する社会主義リアリズムの様式が主流となります。改革開放の1980年代以降は、新しい美術の概念、様式、素材で自由な創作が行われるようになり、現在では現代作家によるインスタレーションや立体表現など彫刻の範疇を超えるような作品へと展開しています。
1929年の「教育部第一次全国美術展覧会」(現在の「全国美術展」の前身)から彫刻部門が設けられています。本展出品作品からは、油彩画や中国画に見られるようなリアリズム追求の精神が彫刻の分野にもおよんでいることがわかるでしょう。

 

漆画しつが
日本における漆絵は伝統的に食器や家具など調度品の装飾に使用されることが多いことからも、工芸品としての側面が強いと言えるでしょう。もちろん中国においても同様でしたが、昨今の「全国美術展」では、絵画と同じく独立した平面作品として出品されるのが通例となっています。
漆画は油彩画や中国画ほど微妙な色彩の変化は表現できなくとも、象嵌ぞうがん細工などを用いることによって画面に重厚感や装飾性が付与されます。作家の取り上げるモチーフにおいて伝統的なものが少なく、中国現代社会に生きる現代人としての問題意識に根差したものが多いのは、漆画がひとつの自立した芸術表現の媒体としてみなされているからと言えるでしょう。つまり今回出品されている漆画は、工芸色の強い日本の漆絵とは全く異なるものとして考えるべきでしょう。
この分野においても多くの作家たちが追求しているのはリアリズムです。漆の性質上、油彩画ほどの迫真性を望むのは困難であるにもかかわらず、彼らは対象物を精密にとらえることに成功しています。そして《桜花通り 2011年》(No.66)や《人々の暮らし》(No.63)のように、吸い込まれるような漆黒の背景から対象物を浮き上がらせる手法は、まるで17世紀スペインの静物画のように、モノとしての存在感を効果的に高めると同時に静謐さをも兼ね備えた作品へと昇華させています。
また一方で《蘇州古典園林そしゅうこてんえんりん》(No.67)では、象嵌や塗りを工夫することで画面に独特の質感を創り出し、抽象的な作品に仕上げています。作家たちは漆画の表現力の可能性を探るかのように様々な技法を駆使しながら、漆画の世界を今なお押し広げていると言えるでしょう。

 

水彩画
中国における水彩画の歴史は、18世紀初頭にイタリア人宣教師によって伝えられたのを発端としています。しかし当時の中国の文化的背景がそれに適合しなかったため、伝播の範囲はごく限られたものでした。本格的な展開を見せるのは清代末期、つまり19世紀末から20世紀初頭にかけてとなります。その際大きな役割を果たしたのが、海外へ赴いた中国人留学生たちでした。特に欧州以上に多くの留学生が集った日本では、東京美術学校(現・東京芸術大学)をはじめとする美術学校において、留学生たちは西洋式の水彩画の技法や理論を学びました。それらを彼らが自国へと持ち帰り、水彩画はまたたく間に中国において大きな広がりを見せたのです。
水彩画が人気を勝ち得た要因のひとつに、中国伝統絵画との類似点を見出せることがあるでしょう。両者はともに毛筆に水を浸して色を調和させ、またどちらも吸水性のある紙を使用し、透明性を追求します。そのため両者は相互に影響し合い、水彩画には中国伝統絵画の技法のみならず、写意などの理念が取り入れられ、中国独自の展開を見せることになりました。
昨今の「全国美術展」において水彩画はますます隆盛の一途をたどっています。技法や表現力が飛躍的に発展、そして多様化したことにより、特にリアリズムを追求した水彩画は、油彩画を凌ぐほどの迫真性を帯びています。また現代中国ならではの題材が取り上げられるようになったことも、水彩画がひとつの芸術形態として確固たる地位を築いた証左といえるでしょう。

 

中国画
中国絵画は、広大な国土と数千年の歴史を背景に発展してきました。中国では歴代王朝の宮廷画家による花鳥画など、自然観察に基く写実性の高い絵画(工筆画こうしつが)の伝統がある一方で、文人画がその精神性や内面性において高く評価されてきました。高雅こうがの士として山林に隠遁いんとんし、余技として書画を手がけた文人たちは、技術の高さを誇る職業画家とは対照的にみなされたのです。その文人たちが書画を手がける際に最も重んじたのが、画家自身の心情を描写する「写意しゃい」であり、長らく東洋絵画の極意とされてきました。
しかし1842年のアヘン戦争を境に中国近代史が幕を開けると、日本における明治維新同様、西洋の近代思潮が一気に押し寄せたことにより、それまでの伝統的な価値観が揺るがされることになります。絵画の分野においても同様で、陰影法や遠近法を駆使した科学的分析に基づく西洋絵画は当時の中国画家たちに驚きをもって迎えられました。そして彼らは西洋的視座による写実性を伝統絵画に取り込んだ折衷的な絵画を生み出したのです。しかしながら、中国にとっての伝統絵画の存在はあまりにも巨大すぎたため、近代絵画への道は困難を極めました。1920年代から30年代にかけて上海を中心に新国画運動が盛んになったものの、結果的には伝統的な絵画である工筆画や、写意を重んじる文人画などとともに、新旧が混在する形のまま近代中国絵画史が形成されてきたと言えるでしょう。
今回の「全国美術展」において第二次審査を通過した作品のうち中国画が最多だったことが示すように、現代においてもその裾野の広さとレベルの高さをうかがい知ることができます。価値観の目まぐるしく変化する現代中国社会のなかで形成された自らの生活感情をもとに、いかに自然を表現するかを模索する若い作家たちの姿に現在の中国画の傾向を読み取ることができるでしょう。

 

版画
版画にはさまざまな種類がありますが、中国では主に木版画が発展してきました。始まりは隋代(6-7世紀)から唐代(7-10世紀)の初め頃といわれており、仏教経典や暦、実用書の挿図などに用いられました。明代(14-17世紀)になると、多色刷りが開発されました。この時代の木版画は原画・板刻・擦りの分業によって仕上げられおり、「複製木刻」と呼ばれています。近代に入り、小説家であり社会思想家であった魯迅によって木版画運動が進められました。これは分業制とは異なり、絵を描き、版を彫り、擦るという作業を一人が行うもので、「創作木刻」と呼ばれています。魯迅ろじんは創作木刻のあるべき姿を、新しい生活を反映するとともに、人々と結びつくものでなければならないとしています。
今日では、銅版画やリトグラフ、シルクスクリーンなどの西洋版画の技法もすでに定着し、中国の版画家の表現手段となっていますが、あえて伝統的な木版画に回帰する動きもあり、その両方で現実社会に対する作家自身の思いを表現しています。前者の例として、本展ではシルクスクリーンの《パパとママはどこ行っちゃったの?》(No.56)が挙げられます。中国には「人文関懐」、つまり「人間の価値と尊厳、人格の完成、人間の精神層面の問題に大きな関心を寄せること」、という意味の言葉があります。現在、「全国美術展」も含め中国美術界では、この「人文関懐」の精神が反映した作品が多く制作されています。地方に出稼ぎにいって親が不在である子ども達の後姿を魚眼レンズで覗いたように描かれたこの作品では、親や社会状況に対して非難の気持ちを表しているのではなく、子どもたちに対する「思いやり」の気持ちが込められています。《30代になって》(No.50)は、伝統的な木版画の手法を基礎にし、現代の若者の姿そして彼らが持つ新しい気運を表現しています。

 

年画
年画とは、中国で春節しゅんせつ(旧正月)や慶事のときに、民家の室内を飾る吉祥絵画のことです。古く漢時代に起源を持つ年画は、明清代(14-19世紀)には農村に広がりました。この時代の年画の図柄は、招福厄除、子孫繁栄を意味する吉祥図などが、赤緑黄など鮮やかな色彩で描かれました。中華民国初期には、流行の服装に身を包んだモダンな女性の姿と商品の原画、それにカレンダーを付けた実用的な年画が流行し、商品宣伝の役割をも果たしました。その後、日中戦争とそれに続く国民党との解放戦争の中で、中国共産党は文化政策の一環として、文字の読めない農民の教育や宣伝のために、農民の生活に溶け込んでいる年画の形式を利用して民衆教育を進めました。1949年の新中国成立後の年画、いわゆる新年画には、社会主義建設、労働者、国や党の指導者が壮大な構図で描かれるようになりました。
このように大衆の人気があり、また文化政策で重視されてきたことから、「全国美術展」では、1949年の第1回展から「年画」がひとつの部門として位置づけられてきました。今回、紹介する2点は、伝統的な吉祥文様を活かした現代的なデザイン性の強い作品です。

 

挿絵
中国古典文学において、挿絵の印刷文化が栄えたのは明代の末から清代の初め(17世紀中頃)にかけてです。各都市の書店が挿絵の入った小説や戯曲本を刊行し、木版画の印刷物として民間に広く流通しました。現在では、印刷技術の変化に伴い、多様な技法で挿絵が描かれています。

 

アニメーション
アニメーションは、前回の第11回「全国美術展」(2009年)から新しく設けられた部門で、新時代の美術表現におけるメディアの多様性を表わしています。