バングラデシュ独立50周年記念
「わが黄金のベンガルよ」
- 期間
- 2021年9月23日 (木) 〜 2021年12月25日 (土)
- 会場
アジアギャラリー
「わが黄金のベンガルよ」 この誇らしげな言葉は、ベンガル人のロビンドロナト・タクルによって投げかけられました。ベンガルを代表する詩人の名前ですが、きっとこう紹介した方がわかりやすいでしょう。アジア人ではじめてノーベル文学賞を受賞した「インド人のラビンドラナート・タゴール」と。
タゴールが詩集『ギーターンジャリ』によって、ノーベル文学賞を受賞したのは1913年のこと。このとき、タゴールの生まれた「ベンガル」という土地は、まだインドとバングラデシュに分かれておらず、イギリス領インド帝国の一部でした。この土地は古来より豊かな自然と文化を育み、そこに住む人はベンガル人と呼ばれていました。「ロビンドロナト・タクル」という名も、タゴールのベンガル語の名前なのです。
その詩聖タクルがゴゴン・ホルコラ(バウルと呼ばれる歌い人)の旋律にのせて、1905年に作詩したのが、この「わが黄金のベンガルよ」です。ベンガルの大自然を礼賛したこの歌は、後の1971年に「ベンガル人の土地」を意味する「バングラデシュ」の国歌となり、この国のために命を燃やす人々を熱く鼓舞し続けてきたのでした。
今回のコレクション展では、激しい独立戦争を経て1971年に独立したバングラデシュに焦点をあて、生きることへの苦難と喜びが交錯するこの国の美術の50年をたどります。
1.独立、そして終わらない苦闘
第二次世界大戦が終結してしばらく経った1947年、それまでイギリスに植民地支配されていたインド帝国は、インドとパキスタンに分離独立を果たしました。そこで複雑な状況に追い込まれたのがベンガル州で、ヒンドゥー教徒の多い西ベンガルがインドへ、イスラーム教徒の多い東ベンガルはパキスタンへ統合されることになったのです。
しかしながら、インドを挟んで東西に分かれた2つのパキスタンは、政治・経済的に西側(現パキスタン)が優位に立ち、東側(現バングラデシュ)に不満が渦巻きました。そのひとつの例が西パキスタンのウルドゥー語だけを公用語にした問題で、これに対しベンガルの人々は激烈な反対運動を展開したのでした。
その後、1970年の選挙で東パキスタンの政党が勝利すると、東西の対立はより先鋭化し、1971年3月には西パキスタン軍が東へ侵攻し、バングラデシュ独立戦争へと発展します。そして同年12月、インドの軍事支援(第三次印パ戦争)を受けたことで、バングラデシュは西パキスタンとの戦いを有利に進め、念願の独立を果たしました。しかし、この戦争はベンガル人の多くの命を奪うとともに、その傷痕はいまも深く社会に刻み込まれているのです。
2.ベンガルの豊かな自然と文化
ロビンドロナト・タクルの「わが黄金のベンガルよ」に歌われているように、ベンガルの土地は「マンゴーの森にみちる香しさ」や「実り豊かな稲田」などの豊かな自然に恵まれ、いまでも大部分の国民が農村で暮らしています。カンタという刺繍の作品《黄金のベンガル》には、まさにそうした情景が描写されています。
一方、バングラデシュの都市部に目を向ければ、国の中央部にある首都ダッカ、そして南東部にある港湾都市チッタゴンは、古くから経済的にも、文化的にも発展してきました。
美術の分野においても、1948年に設立されたダッカ美術学校を前身とするダッカ大学芸術学部と、1968年に設立されたチッタゴン大学芸術学部を中心に、バングラデシュ独自の抽象的なモダニズム絵画や、社会批判的なリアリズム絵画が生み出されてきました。このほか、映画やリキシャ・ペインティングに代表されるような大衆芸術、テラコッタやポトの素朴な造形など、バングラデシュの多彩な視覚表現は、ベンガルの自然や社会の写し鏡として、いまも人々の心をとらえて離しません。
会場 | アジアギャラリー |
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観覧料 | 一般200円(150円) 高校・大学生150円(100円) 中学生以下無料 |
展示品 | 絵画、立体、映像など38点 |
主催 | 福岡アジア美術館 |
問い合わせ | 福岡アジア美術館 Tel:092-263-1100 |