「あじび研究所」第3弾 グエン・ファン・チャン(ベトナム)《籐を編む人々》

期間
2019年12月2日 (月) 〜 2020年3月17日 (火)
会場

アジアギャラリー

あじび研究所へようこそ
美術館のコレクションは、1点1点が、国や地域、時代を語るうえで欠かせない存在です。ここでは、普段のコレクション展では語りつくすことのできない作者の意図や制作背景について、パネルや参考資料を交えながら作品に迫っていきます。「観る」作品から「読み解く」作品へ、
新たなコレクションの魅力をお楽しみください。
【1期 3/28~6/25】
イ・ユニョプ(韓国)《テチュリ婦人会長さん》2006年
【2期 6/27~9/24】
マーリガーワゲー・サルリス(スリランカ)《ガウタマ・シッダールタ王子の誕生》20世紀半ば
【3期 12/2~2020/3/17】
グエン・ファン・チャン(ベトナム)《籐を編む》1960年

 

ベトナム絹絵とは
「ベトナム絹絵」とは、1925年にベトナムのハノイに開校したインドシナ美術学校(École des Beaux-Arts de l’ Indochine) において、新しい技法を使って作り出された絵画のことです。
この絹絵は、インドシナ美術学校の校長であったフランス人画家ヴィクトール・タルデューの助言のもと、生徒のグエン・ファン・チャンによって確立されました。チャンが編み出したのは、服地用に加工された絹に、水彩絵具によって絹を染め付けるように描く技法です。特にチャンの作品は、描いたあとに水で洗い流し、表面の色を落とすのが特色です。この工程を何度も何度も繰り返すことで、絹地を染めたような効果が生まれ、ぼかしやにじみによる独特の柔らかい風合いが生まれます。美術学校で学んだ構図や技術を踏まえ、伝統的な素材と組み合わせることで生まれた「ベトナム絹絵」は、国内外で高い評価を得ました。

ト・ゴク・ヴァン《お針子たち》
1932 年、水彩・絹、個人蔵。

グエン・ティエン・チュン《テト市場へ行く》
1940年、水彩・絹、ベトナム国立美術館蔵

インドシナ美術学校
1925 年、フランス統治下のハノイに、植民地政府によってインドシナ美術学校が設立されました。開校に尽力したのは、フランスのサロン(官設の美術展覧会 ) でインドシナ賞を受賞した画家、ヴィクトール・タルデューでした。開校当初の理念は、職人ではない、真の芸術家を育成することでした。
授業内容は本格的なもので、パリの美術学校に倣い、タルデューはデッサンを重視し、同じくフランス人教師ジョセフ・アンガンベルティは屋外での制作を重視しました。この学校で絹絵の他に漆絵も誕生することになります。
フランス、次いでアメリカとの戦争が激化してゆくと、学校は疎開を余儀なくされ、レジスタンス美術学校などと何度も名前を変え、現在はベトナム美術大学として存続しています。

第一期生と校長タルデュー(中央) 右から三番目がグエン・ファン・チャン

 

1960 年、ベトナム
制作年とされる1960年前後、ベトナムで何が起こっていたのか、画家と関連する出来事をみてみましょう。

1945 年 (53 歳) ベトナム共産党による民主共和国の独立宣言。画壇から離れていたが、これ
を機に故郷からハノイに移住。ベトナム美術学校(旧インドシナ美術学校)で
教鞭をとる。
1954 年 (62 歳) ベトナムはディエン・ビエン・フーの戦いにてフランスに勝利するも、北と
南に分断される。
1956 年 (64 歳) 絹絵の制作を再開する。
1957 年 (65 歳) 第一期ベトナム芸術協会の役員に任命される。
1960 年 (68 歳) 全国美術展覧会に出品。
1962 年 (70 歳) 自画像を描く。個展の開催。
1964 年 (72 歳) トンキン湾事件を契機にアメリカ軍による北ベトナムへの爆撃が始まる。

戦争と隣り合わせのなか、一貫して画家が取り上げたのは、普通の人々の暮らしです。今も昔も変わらない日常生活を重視していたことが、彼の絵から読み取れます。

念入りに描かれたデッサン画
この作品には、写真のようなデッサン画が残されています。紙に鉛筆で描かれた作品は、絹に描かれた本作とは違い、描き込みの丁寧さが印象的です。ここから、水彩絵具の柔らかいニュアンスに変換して完成させるというものが、チャンのスタイルでした。デッサンを重要視する姿勢は、恩師であった校長タルデューの影響が読み取れます。

《籐を編む》
1960年か、墨、鉛筆・紙、遺族蔵。

《籐を編む》
四人の女性が何かを作っています。画家によると、輸出用の籠を編んでいるところだそうです。画面手前の女性は、木型を使って蔓を延ばし、右側の女性は手元を凝視して籠の一部を編んでいます。床や壁にも編みかけの籠の一部が置かれています。
ベトナムでは、田植えや収穫の間にこのような手工芸に携わることが一般的でした。グエン・ファン・チャンは農村に生まれ育ち、画題も華やかな女性たちではなく、このような庶民の日常生活を選んでいました。落ち着いた色合いで構成するチャンの画風は、郷愁をかきたてる日常が特徴です。

※今回の展示に際しまして、タイトルを《竹を編む》から《籐を編む》へ変更しました。

 

参考資料
・図録『ベトナム絹絵画家グエン・ファン・チャン 3rd絵画保存修復プロジェクト展 女たちの絹絵』2017年
・Loan de Fontbrune et Caroline Herbelin Christine Shimizu, Nadine Andre-Pallois, Du fleuve Rouge au Mékong : Visions du Viêt Nam, Paris: Musée Cernuschi, 2012.
NGUYEN PHAN CHANH : NHAT KY NHUNG BUC TRANH, Ha Noi: NHA XUAT BAN KIM DONG, 2016.
Vietnam Cultural Window no.51 June 2002, Ha Noi: Fine Arts Publishers, 2002.

 

グエン・ファン・チャン( 阮藩正, 1892-1984)
グエン・ファン・チャンは、1892年ベトナムのハティン省の農村に生まれました。儒教を重んじる家庭に育ち、私塾で漢学を学び、書を売って家計を助けていたことが知られています。その後教師として働いていましたが、1925 年 32 歳でインドシナ美術学校に入学。校長のタルデューのすすめで絹絵を編み出します。身近な人々の日常風景をアースカラーの落ち着いた色合いで表現した作品は、当時のベトナム美術界に新たな展開をもたらし、フランスで高い評価を受けるとともに、画家が亡くなった今も、人びとを魅了しつづけています。

《オーアンクァン遊び》
1931年、水彩・絹、福岡アジア美術館蔵。

《田舎の歌手》
1932年、水彩・絹、シンガポール国立美術館蔵。

グエン・ファン・チャンの日記から
四人の女が、より集まって座り輸出用の籐の手工芸品を作っている。画面手前の右の女は、うつむいて籐を編んでいる。反対側の左の女が籐の蔓を木型で延ばしている。真ん中の白いシャツを着ている女も編みかけの籐の籠の一部を持ち上げている。

構図についての話をしよう。前に座る三人を見て欲しい。一人は右を見ている。一人は左を見ている。一人は下を見つめている。顔を上げている女はいない。絵の中の四人のうち一人には顔を上げさせたかったら、一番後ろに座る女を描かなければならない。彼女は手に出来たばかりの籠の一部を持っていなければならない。そして、その籠の一部を上げて前の女に、これで良いかと聞くようなしぐさをしている。だから、顔を上げなければならないのだ。そんなわけで、いちば後ろに座っていたとしても、私たちには彼女の顔がはっきり見えるのである。それは構図上のことである。それから、あっちからこっちにつながっている籐の蔓は、完成した品物や作りかけの品物をはっきり見せている。それはさらに手前と奥の関係を表している。また人物以外に絵の中には壁に掛けている籐の蔓もある。

色については、寒色が少ないが暖色と両方ある。たとえば寒色は前に座っている女の白いシャツの色。あと暖色はいちばん後ろに座っている女の濃い藍色と皆のズボンの色や、前に座る女のシャツの茶色である。この絵は色合いのおかげでとてもきれいな絵となった。また、前に座っている女は優しく穏やかな表情の顔つきをし、濃い茶色の服を着て肌は白くて美しい。聞いてごらん。首都ハノイに女たちがちりめんや縞の絹地や錦を着ていても、彼女のように美しい女がいるかと。この女のシャツの色は絵の基調となっている。籐の蔓を延ばしている女のシャツの色も似ているし、後ろの顔を上げている女は濃い藍色のシャツを着ている。この藍色は、前に座る女のシャツの白と、見事に調和がとれている。

Nguyen Phan Chanh nhat ky nhung buc tranh,
Hanoi: nha xuat ban kim dong, 1993. より引用。
和訳は『女たちの絹絵展』図録、13頁より引用。

絹絵の今
細い糸で織られた、柔らかい絹に描かれた絵。このベトナムで生まれた絹絵は、今日までどのように遺されてきたのでしょうか。高温多湿な風土と長期化する戦争のために、保存が困難だったベトナムでは、どの作品も痛みがひどく、痛み自体が歴史を伝える痕跡のようです。一方で、フランス人などに購入され、欧米に渡った作品は、湿気や劣化によるダメージを比較的免れることができました。
日本画では、絹に描かれた作品は、小麦から作られる薄い糊で和紙に貼られますが、ベトナムの絹絵は米糊で粗悪な紙に貼られたため、時代を経るにつれて酸化し脆くなっています。絹絵に魅せられ、そのことを憂慮した日本の人々が、2007 年に民間での修復保存プロジェクトを立ち上げ、日本の修復家の協力のもと 20 点前後のグエン・ファン・チャン作品が修復されました。

修復家の岩井希久子氏による修復風景