
山城知佳子《あなたの声は私の喉を通った》2009年
「あじび研究所」シリーズ02ー山城知佳子「あなたの声は私の喉を通った」2009年
- 期間
- 2018年7月12日 (木) 〜 2018年9月18日 (火)
- 会場
アジアギャラリー
あじび研究所へようこそ
美術館のコレクションは、1点1点が、国や地域、時代を語るうえでかかせない存在です。2018年4月から新たに、一つの作品に注目したコーナー展示を始めます。コレクションの多くは、特別展や国際展に出品する際に、詳しく調査や研究されてきましたが、継続する調査により新たな事実や分析が加わることもあります。本コーナーでは、普段のコレクション展の中では語りつくすことのできない、作者の意図や制作背景について、パネルや参考資料を交えながらより深く迫っていきたいと思います。 「観る」作品から「読み解く」作品へ、新たなコレクション体験をお楽しみください。
【①期 4/19~7/10】グエン・クアン(ベトナム)≪海の印象≫1993年 ※展示終了
【②期 7/12~9/18】山城知佳子(日本)≪あなたの声は私の喉を通った≫2009年
【③期 9/20~12/25】A.H.マハヴァル(パキスタン)≪切望≫1966年
【④期 1/2~3/26】グレゴリウス・シダルタ・スギジョ(インドネシア)≪泣く女神≫1977年
山城知佳子
《あなたの声は私の喉を通った》
2009年制作 ビデオ(8分40秒)
山城知佳子は沖縄県那覇市に生まれ、現在も沖縄を拠点に世界各地で作品を発表する、近年注目を集める美術家です。過去の戦争や基地問題など、沖縄の歴史とその記憶の継承に深い関心をよせ、常に新しい手法で完成度の高い映像作品をつくりあげてきました。
本展示では、作者の代表作のひとつである《あなたの声は私の喉を通った》について深く考察いたします。戦後73年のこの夏に、本作を通して沖縄の歴史と戦争について思いを馳せていただければ幸いです。
●山城知佳子について
1976年 沖縄県那覇市生まれ
1999年 沖縄県立芸術大学美術学科油画専攻卒業
2002年 同大学大学院造形芸術研究科環境造形専攻修了
2012年 「アジアをつなぐ―境界を生きる女たち 1984-2012」展(福岡アジア美術館他、沖縄県立博物館・美術館、栃木県立美術館、三重県立美術館に巡回)に《あなたの声は私の喉を通った》を出品後、当館に収蔵
2017年 最新作≪土の人≫(2016)で「ASIAN ART AWARD 2018」大賞受賞
2018年 同作品で「第64回オーバーハウゼン国際短編映画祭」にて、女性監督に贈られるゾンタ賞を受賞
山城は、沖縄県立芸術大学に在籍している頃から「女体体操」というダンス・パフォーマンス・グループを結成し、沖縄各地で精力的にイベントを開催し、注目を集めました。それと同時期に、大学で油絵を学びながら作品制作するも、近代以降に日本が西洋から取り入れた既成の美術教育を受けることに対して違和感を持ち、自分の生まれ育った沖縄の風土に合った表現方法を模索し始めます。またその頃、家族の突然の不幸を経験したことが要因となり、死生観について考え始め、沖縄に古くからある身近な聖域としての「墓庭(はかにわ)」に着目するようになります。
沖縄の伝統的な墓には、家ほどの大きさのある石造り(現代ではコンクリートが主流)の墓室の前に立派な庭がついており、この庭のことを「墓庭(はかなー)」と言います。旧暦3月の「清明祭(シーミー)」には、「墓庭」で祖先を迎えるために家族全員が食事をする儀式が執り行われます。山城は、あの世とこの世が交差する「墓庭」を、沖縄の独特な公共空間であると考え、2003年から「墓庭」を舞台にパフォーマンスを行い、映像作品にしてきました。
「墓庭」で行った実験的なパフォーマンス映像は、当時、一部の住民の反発を受けますが、沖縄で生まれ育ったアイデンティティを自らの身体で感じながら表現することに手ごたえを感じた山城は、大学院修了後に個展「墓庭の女」(会場、前島アートセンター)を開催し、以後、映像作品を中心とした作品発表を続けていくことになります。
●沖縄の歴史を振り返る
1429年に建国された琉球国は、明および清の属国的な地位にありましたが、1609年に薩摩藩の侵攻を受けると、その支配下におかれるようになります。その後、1872年には明治政府によって琉球藩となり、1879年の廃藩置県によって沖縄県となっています。20世紀に入ると、第一次世界大戦による経済恐慌を機に、国内に限らずサイパンやハワイなどの太平洋地域へ沖縄の人々の移住が始まります。
そして、よく知られているように、太平洋戦争末期の沖縄は、日本国内で唯一の地上戦の場となり、12万といわれる民間人が犠牲となったのです。戦後、焦土と化した沖縄は、1972年に日本政府へ正式に返還されるまで、米軍の直接統治下におかれました。
返還直後の1973年には、大阪万博(1970年)の成功を基に「海-その望ましい未来」をテーマとした「沖縄国際海洋博覧会」が開催され、現在まで続く観光資源としての「青い海」の沖縄イメージが創出されます。日本における米軍基地の約75%が集中する「基地の島」というイメージとともに、雄大な自然を資源とした「観光の島」というイメージがこの時期から形成されていきます。
このような歴史を受け止めながら、沖縄返還後に生まれた山城は以下のように語っています。
『沖縄では、私が生まれたときには既にいろいろな危険がありました。度重なる事件や事故…「そもそも何でそういうことになったんだろう」と考えたら、やはり沖縄戦、それを避けては沖縄の諸問題は理解できないと思い至ったんです。それで、沖縄戦を体験した方々に会いに行って、直接話を聞くことにしました。』
※出典:「Circulating World –The Art of Chikako Yamashiro 循環する世界 山城知佳子の芸術」より
●《あなたの声は私の喉を通った》
本作は、山城が沖縄戦を体験した人々の話を聞き、その記憶を美術作品として現代に継承するという発想から制作されました。
山城は、沖縄のデイサービスセンターで行われている、過去の記憶をたどることで脳を活性化させる「回想法」という心理療法に着目し、沖縄戦を自発的に語る「語り部」の人々ではなく、戦争体験を記憶の奥にしまっている高齢者の方々に、回想法を使いながら話を聞いています。
本作の中で山城の顔に重ねて映し出されているのは、この時に出会ったひとりの老人です。この男性の家族は、第一次世界大戦時に職を求めてサイパンへ移住しましたが、太平洋戦争末期の1944年に、弱冠9歳だった男性を残し「バンザイクリフ」から飛び降りて亡くなっています。本作は、男性のこの悲痛な記憶を語るとことから始まります。
山城は、この男性の語りを真に理解するために、語られた言葉を文字に書き起こし、一言一句を復唱しながら息継ぎを真似することで、自分の喉(身体)から男性の言葉を発話しようと試みました。しかし、沖縄戦を経験していない山城は、男性が経験した悲劇のすべてには共感することができず、撮影は何十回もやりなおされました。撮影の際には、男性が語る映像を目の前に置き、山城はその一点を見つめながら、それと同期するように発話しています。また同時に、山城の顔をスクリーンにして、男性の顔を重ねることで、身体までもが同一化されていくような、身体変容の過程を映し出すフィクションとして生み出しています。途中には、沖縄公文書館の内部と資料保管庫の映像が象徴的にはさまれますが、このシーンは戦争について語る人々が徐々に亡くなり、戦争についての記憶が実感を伴わない「文字資料」のみとなる未来を危惧しているかのようです。
《あなたの声は私の喉を通った》2009年制作
福岡アジア美術館所蔵
『他者の痛みはたとえ過去の記憶の中にあっても、自分の痛みとして仮想的に経験し、生きなおすことによって「継承」し伝えることができる、少なくともその可能性があると語りかけてくるようだ。』-山城知佳子の言葉より
※出典:「Circulating World –The Art of Chikako Yamashiro 循環する世界 山城知佳子の芸術」より
《あなたの声は私の喉を通った》は、ひとりの老人の痛みを伴う記憶を山城自身の身体に招き入れて吐き出すことによって他者の記憶を継承する挑戦的作品にほかなりません。つまり、沖縄戦の体験者ではない山城が、沖縄の諸問題を考えるうえで突き当たった戦争の現実を、映像という時空間を駆使しながら、沖縄はもとより、世界の異なる文化背景を持つ観客へ届けようとしているのです。山城は本作を発表後、沖縄の「声と記憶を継承」するシリーズを展開しながら発表し、世界各国で高い評価を得ています。
会場 | アジアギャラリー |
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観覧料 | 一般200円(150円) 高校・大学生150円(100円) 中学生以下無料 |
主催 | 福岡アジア美術館 |
問い合わせ | Tel:092-263-1100 |