日タイ修好130周年記念コレクション展『静寂な混沌(カオス)―福岡がみつめたタイ現代美術』

期間
2017年5月11日 (木) 〜 2017年12月25日 (月)
会場

アジアギャラリー

日本とタイ王国の交流史今からおよそ600年前、アユタヤ王朝の時代、現在のタイ王国は「シャム(暹羅(せんら))」と呼ばれていました。シャムと独立王国であった琉球王朝との間には貿易船が頻繁に往来し、交易が盛んに行われていました。その後、日本とタイは琉球王国を中間拠点としながら交易を続けましたが、こうした交易も徳川幕府の鎖国令などにより徐々に衰退していきます。19世紀後半(明治期)になると、両国は近代化し、1887年には「日暹修好と通商に関する宣言」(日タイ修好宣言)を交わし、正式な外交関係を開始しました。これは当時の日本政府が東南アジア諸国と外交関係を結んだ最初の条約とされており、以来、両国は幅広い分野で親密な交流を深めてきています。そして2017年の今年は日タイ修好130年を迎えました。福岡がみつめたタイ現代美術日本とタイの美術の分野においては、福岡市美術館が日本でいち早くタイの現代美術を紹介してきた歴史があります。1980年の、日本で初めてアジア諸国に特化した国際美術展である「アジア現代美術展」では、5名のタイ現代美術家が作品を発表し、それまで全く知られていなかったタイの現代美術が初めて公にされました。その後、「アジア現代美術展」は「アジア美術展」として1994年まで続き、1999年の福岡アジア美術館の開館以降は「福岡アジア美術トリエンナーレ」として引き継がれ、多くのタイ美術作家の作品を紹介してきました。今回の展示では、これらの現代美術展に出品された作品を中心に、福岡がみつめてきたタイ現代美術をご紹介したいと思います。新伝統派の活躍出家と戒律を重んじ「長老の教え」を意味する上座部仏教を信仰するタイでは、古来より仏教が生活や文化において中心的な位置にありました。美術の世界も例外ではなく、1980年代のタイ美術界では仏教説話などに取材した「新伝統派(ネオ・トラディショナル)」の作家たちが台頭します。今回は、新伝統派の騎手と謳われたパンヤ-・ウィチンタナサーンの作品などを展示し、またスコータイ朝時代(13~15世紀)の仏像表現を取り入れたといわれるキエン・イムスィリの彫刻を参考にご紹介します。加速する工業化農業を経済基盤としてきたタイですが、1960年代頃から加速した工業化は首都バンコクから農村地帯にまでに浸透しました。ここでは急速な工業化によって生まれる高度成長の歪みを工業製品や廃棄物を用いて表現したスパチャイ・サートサーラーやウィチョーク・ムクダマニーを紹介します。大量消費社会時代の人間像1990年代には、経済の自由化と資本主義による経済危機がおとずれ、さらには軍事クーデターによって市民が犠牲になるなど、不安定かつ混沌たる社会情勢が続きます。このような社会状況に応答するかのように当時のタイの美術作家たちは、その渦中にいる人間像を浮かび上がらせようとします。そのなかでもマニット・シーワニットプーンは経済危機に陥ったタイの消費社会と資本主義社会を多様な手法で批判的に表現しました。