コレクション展

金属ぞくぞく大集合!

期間
2014年4月24日 (木) 〜 2014年8月19日 (火)
会場

アジアギャラリーB

自然素材から始まり、金属、化学素材に至るまで、人類はこれまでの歴史のなかで様々な素材を発見し、役立ててきました。中でも金属の普及は、私たちの生活スタイルを飛躍的に変えてきたと同時に、美術の分野においても幅広い表現を可能にしました。ここでは、鉄やブロンズなどの金属、あるいはナンバープレートやドラム缶などの既製の金属製品をもちいた作品が大集合します。「彫刻」「現代生活」「暴力」というテーマとともに、普段は意識しない素材から、作品に隠された意味を探っていきましょう。

 

彫刻素材としての金属:ブロンズと鉄
彫刻の素材となる金属でもっとも広く使われてきた「プロンズ(青銅)」。ブロンズは、銅に錫などを混ぜた合金で、紀元前3000年頃のシュメール文明で 発明されたと言われています。その特性は、木や石出にくらべて丈夫で風化しにくく、同じ金属の鉄にくらべて錆びにくいことです、それゆえ、プロンスでできた彫刻は屋外展示に非常に適しています。皆さんもよく耳にする「銅像」は、実はこのブロンズ製です。
ブロンス像の利点はそれたけではありません 木彫や石形と違い、プロンス像では一般的に粘土で原型を作ることから始めます。そして、この原型(あるいは石膏で作り直した原型)から鋳型を作り、そこにブロンズを流し込んで作品を完成させるのです。そのため、鋳型を使えばコヒーを作ることも可能です 実際、チャルード・ニムサマーを思案)は、同じ原型から5つのブロンス像が 作られました。
一方の「鉄」も、古代文明の時代から使用されてきた金属です。ブロンズに くらべると酸化しやすいですが、非常に硬い素材で、炭素なとを混ぜるとより硬質な「銅」になります。モンティエン・ブンマー《喜捨》とチャン・ホアン・コ《立てる二人》は、ともに細長い脚で上部が支えられていますが、これは鉄の特性 をいかしたものと習えるでしょう。

 

現代の生活にあふれる金属
現代美術では、日常生活や自然のなかで見つけたさまざまな物を、そのまま 作品に使用することを「ファウンド・オブジェ (Found Object)」 と言います。 直訳すれば「見出された物」ですが、これは単に物質的な「物」だけに着目した手法ではありません。さまざまな物の色や形の組み合わせを楽しむだけでなく、それらの不思議な組み合わせから新しい意味や物語を生みだすことができる手法なのです。
ここでは、車やミシンなどの金属製品を用いた作品を展示しています。先のコーナーでも紹介しましたが、硬くて安価な鉄は「産業の米」とも呼ばれ、業革命以後、現代にいたるまで、私たちの社会生活にとってなくてはならない金属です。車や電車などの乗り物、ミシンや換気扇などの家庭用品、都市化を支える建築資材など、私たちの身の回りは鉄製品にあふれていると言っていいでしょう。
スパチャイ・サートサーラー 《道程再び》、ゲー・ジャワナリキコーン《茶色の空気、茶色の木、茶色の海、汚い自動車》はともに増え続ける自動車に着目した作品です。1990年代以降、アジア各国は急速に経済発展しましたが、 これらの作品は、私たちがそれと引き替えに何を犠牲にしたかを、鋭く問いかけます。一方、ヌール・アジザン・ラーマン・パイマン 《嘆きの車輪》とリム・ボーテク《転換》は、形は違いますが、それぞれ換気扇を用いた作品です。(嘆きの車輪》では換気扇と行商のワゴンを、《転換》ではミシンと合体していて、懐かしさとともに人々の記憶や空想を喚起します。

 

金属にひそむ暴力性?!
このコーナーでは、暴力や権力を連想させるような作品を紹介しています。 ラジャ・シャリマン・ラジャ・アジディンの作品は、まさに暴力と権力の密 接な結びつきを可視化したかのような作品です。《世界の支配者》では物々し い玉座と剣が組み合わされ、《選ばれた段階》では銃の薬莢によって頭飾りが 装飾されています。また、マースーマ・サイヤド《首飾り》では装身具に無数の針が、アヌラ・クリシャンタ・バラガマ・アーラッチ 《椅子》では椅子に釘が取り付けられ、安心できない精神状況が表出されています。
チャンドラグフタ・テヌワラ《ドラム缶時代の女たち》は、女性たちの絵画 の前に3つのドラム缶が置かれた作品です。作者によると、彼の子ども時代、ドラム缶はタールを熱するための容器に使われ、道路がタールで舗装されるの を見ると、隣町への距離が短くなったようで嬉しかったと言います。このときのドラム缶は、便利さや交流の象徴だったかもしれません。しかし、スリランカでは1983年に内戦が起き、その後23年間も暴力的な対立が続きます。《ド ラム缶時代の女たち》はその時代の作品で、当時のコロンボでは、反政府組織からの攻撃を防ぐバリケードとして、街のいたる所にドラム缶が並べられていました。単なる容器としてのドラム缶が、今度は戦争・暴力・恐怖心の象徴として、コロンボの都市風景を一変させたのです。
有史以来、確かに人類はさまざまな金属をつかって戦争のための道具を開発 し、覇権を追い求めてきました。しかし、金属にこめられた暴力的な象徴性は、 それを使う人間の本性にこそ潜んでいるのではないでしょうか。