コレクション展

中国1979-2009〜現代美術の航跡〜

期間
2013年1月2日 (水) 〜 2013年4月2日 (火)
会場

アジアギャラリーA

毛沢東の死とともに文化大革命が終結した後の1979年9月、「星星画会シンシンホアホエイ」という若い芸術家集団による野外展が開催された。ここでは、星星画会に端を発する中国現代美術の30年の航跡を、絵画や写真などを通して、ダイジェストで追いかける。

◆30年の大変革期!文化大革命後~北京オリンピック

1、星星画会  [1979年]
1979年9月27日、北京にある中国美術館横の空き地で、中国現代美術の新しい挑戦が始まった。ちょうど中華人民共和国が建国された1949年前後に生まれた、つまり30歳前後の若い芸術家たちによって、現代美術の野外展が開催されたのである。彼らは唯一の太陽=毛沢東の思想による美術に反抗し、自らを「星星」と呼び、10月1日の国慶節(建国記念日)を挟んで1週間、「星星美展」を開催しようとした。しかし、結果的には3日間しか開催できず、その後、民主化を求めるデモへと発展した。

◆第1回展(開催予定:1979年9月27日~10月3日)
9月27日 野外展開幕。23名による150点余りの作品(油彩、水墨画、ドローイング、版画、木彫)が展示された。
9月28日 北京市公安局により星星画会メンバーの馬徳升(マー・デェション)、黄鋭(ホアン・ルイ)が連行された。
9月29日 公安局・城建局により閉鎖。当局より会場を移しての開催が提案される。
9月30日 星星画会が最高人民検察院に当局を告訴。
10月1日 国慶節。星星画会を中心に、建国以来初の民間によるデモが実施。スローガンは、「要政治民主、要芸術自由(政治に民主を、芸術に自由を)」。

しかし、その後は当局が提案したように北海公園内の別会場で展覧会を継続開催している。そして翌年には「第2回星星美展」を中国美術館で開催し、同館の最高入館者数となる8万人もの来場者を記録した。
「星星画会」が目指したのは、文革後の精神的・文化的荒廃のなかで、人間性を回復し、個人の自由な表現活動を解放させることだった。毛沢東をはじめとする共産革命の英雄や労働者、農民、兵士を称揚する理想化されたイメージを拒否し、海外から漏れ伝わる新しい美術に熱中した。彼らの作品は必ずしも独創的ではなかったが、その果敢な実験精神と、政治や社会に対する批判精神は、現在に至る中国美術の原点とも言えるだろう。

 

2、中国現代芸術展  [1989年]
「第1回星星美展」から10年。民主化への気運が最高潮に達した1989年2月、北京の中国美術館で「中国現代芸術展」が開催された。この展覧会には、星星画会以降、1980年代に中国各地で芽吹いた美術運動が紹介され、186人もの芸術家たちの作品が集結し、百花繚乱の様相を呈した。しかし、このときも2つの事件により一時的な閉鎖を余儀なくされる。

◆中国現代芸術展(開催予定:1989年2月5日~2月19日)
2月 5日 開幕3時間後、肖魯(シャオ・ルー)と唐宋(タン・ソン)がパフォーマンスとして自作に向けて実弾を発射。警察に身柄を拘留され、美術展は5日間閉鎖される。
2月14日 中国美術館に爆弾を仕掛けたという脅迫文書が届き、2日間閉鎖。
2月19日 国内外のメディアから注目を集めつつ閉幕。

その後、六四天安門事件によって、中国国内での表現活動は地下へと潜行することになる。しかし、中国現代芸術展は、「八五美術運動」をはじめとする80年代の旺盛な芸術活動を国内外に紹介し、中国現代美術を国際舞台へと押し上げる決定的な出来事だった。
なお、「八五美術運動」とは、1985年前後に中国各地で芸術家集団が次々と誕生し、表現上の新しい実験を繰り返した現象のことで、北京の「観念21」、「北方芸術群体」、南京の「ネオ・フォーヴィスム」、江蘇省の「紅色・旅」、浙江省の「池社」、「紅色ユーモア」、河北の「米羊(蟻)画室」、広州の「南方芸術家サロン」などが同時多発的に生まれた。この契機になったと言われるのが、1985年4月に開かれた「油画芸術討論会」(通称「黄山会議」)であり、公的機関が主催した討論会としては初めて、自由な創作活動について議論された。また11月にはアメリカ現代美術の巨匠、ロバート・ラウシェンバーグの国際巡回展が北京で開催されたことも大きく、中央工芸美術学院ではラウシェンバーグの講演会も実施された。後に映像作家として、この領域の草分け的存在となった張培力(ジャン・ペイリー)も、「池社」の中心メンバーとして活動した。そして、圧倒的なインスタレーション作品を発表した徐冰(シュ・ビン)と呂勝中(リュ・シェンジョン)は、中国現代芸術展を契機に一躍中国美術界の主役に躍り出たのだった。

 

3、 ポスト八九
1989年は、中国現代美術に衝撃を与えた一年だった。中国の美術界は、文革後の実験的な美術表現が噴出した中国現代芸術展を目撃し、その4カ月後には六四天安門事件によって深い挫折を経験する。これ以後の、主に1960年代生まれの若い芸術家たちは、こうした歴史的・精神的状況から、出発しなければならなかった。
1989年に中央美術学院版画科を卒業した方力鈞(ファン・リジュン)と劉煒(リュウ・ウェイ)は、90年代の新潮流となる「シニカル・リアリズム」の代表作家である。特に方力鈞は、北京大学近くに生まれた「円明園芸術家村」にいち早く移り住み、20人程度のささやかな集団を形成する。しかし、「シニカル・リアリズム」や「ポリティカル・ポップ」が円明園芸術家村の存在とともに語られはじめると、この芸術村を目指す者たちが中国全土から殺到し、住人は数年のうちに1000人を超え、商業的傾向を強めていく。そして、国連北京女性会議を目前に控えた1995年秋、円明園芸術家村は3度の一斉摘発を受け、完全に消滅している。

◆シニカル・リアリズム
張培力らによる「池社」の冷淡なリアリズムを継承しつつ、前世代のもつ理想主義やヒロイズム、政治性を排除し、「軟弱無能」な自己に向き合うような作品について呼称された。それは毛語録にある「我々は、自己内部において軟弱無能な思想を一掃しなければならない」の対極とも言える。中国語では「玩世現実主義」と表記されるが、この「玩世」とは「放浪、ごろつき」「冷ややかに世間を傍観し、茶化し不遜に振る舞う」ことを意味する。

◆ポリティカル・ポップ
東欧の社会主義諸国にも現れた傾向で、全世界に遍在する商品ブランドと共産党プロパガンダを組み合わせて、共産主義の自壊と強大な世界資本主義の双方に対する懐疑を露わにする作品への呼称。中国においては、毛沢東らの権威的イメージや文革時の理想化されたイメージを、軽薄なコマーシャリズムにまで引き下ろした。しかし、こうした反体制的な姿勢も、それ自体が商品化の波に飲み込まれていった。

 

4 、北京東村  [1993年]
「北京東村」は、北京東部の朝陽区東風郷大山郷を拠点に、1993年から活動を開始した。主要メンバーは、張洹(ジャン・ホァン)、馬六明(マー・リュウミン)、朱冥(ジュー・ミン)などで、彼らは90年代の中国のパフォーマンスを強力に牽引していくことになる。また、この時期の中国は、六四天安門事件で挫折した改革開放政策が、社会主義市場経済として再び動きはじめたときで、これ以後経済成長が一気に加速する。北京東村に集った芸術家たちは、こうした状況のなかで市場経済の圧力に抗するため、アンダーグランドであり続けようとした。そのために選択したのが、流通経路に乗らないパフォーマンスという表現手法だった。
しかし、この北京東村も、1997年頃には円明園芸術家村と同様、姿を消すことになる。今回の展示では、主に栄栄(ロン・ロン)により撮影された記録写真を展示する。

 

5、 膨張する中国と北京オリンピック
1995年頃からある落書きが北京市街地に目立ちはじめた。それは男の横顔を一筆書きしたもので、数年のうちに2000カ所以上の壁へと増殖を続けた。これをおこなったのは張大力(ジャン・ダーリー)で、彼は取り壊しの決まった建物にスプレーで横顔を描き、ときに壁ごと穴を空けるという作品を展開させたのだった。
この制作の背景にあったのは、中国の急激な社会変動だった。世界の工場として経済成長しつづけた中国は、2012年には日本の国内総生産(GDP)を抜き、ついに世界第2位となる。しかし、膨張する市場経済は社会格差を増大させ、人々の日常生活や価値観にも動揺を与えた。北京や上海などの都市部では再開発が強引に進められ、都市風景を激変させもした。張大力ら中国の芸術家たちが直面したのは、膨張する中国のこうした現実だったのである。
そうした中、2008年には北京オリンピックが開催される。メイン会場となった北京国家体育場(通称「鳥の巣」)の設計に関わったのは、星星画会にも名を連ねた艾未未(アイ・ウェイウェイ)だった。また、開会式において「歴史の足跡」という花火の演出を手がけたのは、蔡國強(ツァイ・グオチアン)であった。このようにオリンピックという国家プロジェクトには、中国を代表する二人の芸術家が参画したが、その顛末は両者で明暗を分けた。というのも、政治的プロパガンダとしての北京オリンピックに当初から批判的だった艾未未は、途中から一切の協力を拒み、開会式にもついに出席しなかったからだ。さらに、艾未未はその後も四川大地震に対する政府の対応を糾弾し、独自に犠牲者の実態調査をするなど、反体制的でありつづけた。こうした艾未未の姿は、星星画会から30年経った今でも、変わることなく自由で、挑戦的であると言える。

北京オリンピック
2008年8月8日から8月24日まで開催。アジアで夏季オリンピックが開催されたのは、ソウル大会以来、実に20年ぶり3回目で、中国では初開催となった。

◇北京国家体育場(通称:鳥の巣)
北京オリンピックのメイン会場。設計はスイス人建築家のヘルツォーク&ド・ムーロンのプランが採用されたが、艾未未も芸術顧問として協力した。

◇開会式:歴史の足跡
蔡國強による大がかりな花火の演出で、29回目の夏季オリンピックにちなみ、歴史の巨人が天安門広場からスタートして29歩目に国家体育場に到着するところを表現。開会式では、上空に浮かびあがる巨大な「歴史の足跡」は、CG映像として中継された。