コレクション展

シンガポール国立美術ギャラリー 相互協力協定締結記念 シンガポール美術の創生と展開

期間
2012年3月29日 (木) 〜 2012年6月26日 (火)
会場

アジアギャラリーB

はじめに
2015 年に開館予定の「シンガポール国立美術ギャラリー」は、東南アジアの近現代美術を専門とする、東南アジア地域最大の美術館になります。同ギャラリーと当館は、2010年に、展示・研究・職員の交流のため、継続的な協力関係を結びました。本展ではその締結を記念して、両館のコレクションをあわせて展示し、この地域独自の美術の創出を目指したパイオニアから今日の多様な展開に到る、シンガポール美術の歩みに光をあてます。
「シンガポール国立美術ギャラリー」と当館は今後、①所蔵品の相互貸借、②展覧会の共同企画、③学術研究における交流、④学芸・管理スタッフの育成・交流などの面でさらに交流を深めていく予定です。本展開催のために貴重な作品をご貸与くださり、様々な面でご協力をいただいたシンガポール国立美術ギャラリーに深く感謝申し上げます。

シンガポール美術のパイオニア
現在のシンガポールとマレーシアにあたる地域では、1920年代以降、中国やヨーロッパで西洋近代美術を学んだ中華系の画家たちを中心に近代美術が形づくられていきました。1936年には、チャン・ジューチー(張汝器)を中心に、「華人美術研究会」が結成され、写生会や展覧会の開催、ペナンや中国、香港の作家との交流がすすめられ、シンガポール域内にとどまらない活動が精力的に展開されました。1938年には、中国人子弟の美術教育を目的とする南洋美術専科学校(1982年に南洋美術専科学院、90年に現在の南洋芸術学院に改名)が創設され、初代校長に中国厦門(アモイ)からリン・ハクタイ(林学大)が迎えられました。以降同校は、マレー半島初の本格的な美術学校として歩み始めます。
しかし、これらの動きは日本占領時代(1942-45年)、停止を余儀なくされます。「華人美術研究会」を主導したチャン・ジューチーは、日本軍の粛清によって命を落とします。
戦後1946年に「華人美術研究会」が「中華美術研究会」として再興されると、リュウ・カン(劉抗)が主席に就任し、戦後にシンガポールに移住したチェン・ウェンシー(陳文希)やチェオン・スーピン(陳泗賓)と、ライ・フォンモイ(頼風美)ら南洋美術専科学校の卒業生たちが、戦後の美術界をリードするようになります。彼らは、マレー半島の風土に根ざした題材や、バリ島など周辺地域の風俗に取材し、この地域独自の近代美術の創出に貢献します。

独立への歩みのなかで―社会へのまなざし
1945 年の日本の敗戦後、マレー半島は再びイギリスの統治下に入ります。1950年代のシンガポールは、戦後の荒廃と独立を前にした政情不安が続く、庶民にとっては苦しい時代でした。この時期に南洋美術専科学校を卒業した若い画家たちは、魯迅の木版画運(1930年代)に影響を受け、植民地からの独立を目標に掲げて、庶民の過酷な生活を題材とした社会的テーマの木版画を制作するようになります。1956 年に成立した「赤道芸術研究会」は、この若い画家たちの活動母体でした。作品は不特定多数の人の眼に触れる雑誌や新聞で主に発表され、その活動は、華語(中国語)学校の学生のあいだで木版画グループが結成されるなど、華人社会のなかに広く波及します。しかし1965年、シンガポールが独立すると、研究会は皮肉にも新政府から社会の安定を脅かすものとして危険視され、活動は下火に追い込まれました。

新たな造形の実験―抽象と立体表現
1982 年まで、南洋美術専科学校は大学レベルの学位を与えられる教育機関としては認められていませんでした。そのため、1960年代から70年代には、多くの卒業生が美術作家を志し欧米に渡って学んでいます。イギリスに留学したアンソニー・プーン(方謹順)やテオ・エンセン(張永生)はこの世代を代表する作家です。アンソニー・プーンは、色彩が生み出す視覚的効果に着目し、工業化が進む都市のリズムを画面のなかに捉えることで、抽象表現を新たな段階へと押し進めました。一方、テオ・エンセンは、1979年以降油絵の制作をやめ、紙や廃棄物を使った立体作品の制作に取り組み、その後のインスタレーション(空間を取り込んだ表現)などに続く下地を築きます。

アーティスト・ビレッジの誕生
1988 年、イギリスに留学していたタン・ダウ(唐大霧)
が帰国し、シンガポール美術界に新風を巻き起こしました。それまでのシンガポール美術が、もっぱら素材や造形の実験にとどまる作品が主流だったところに、タンは社会的なメッセージやパフォーマンスという新しい手法で、自分の身体さえあれば誰でも芸術的な表現ができるという考えを実践し、後のシンガポール美術に大きな影響を与えます。(この功績が認められ、1999年には福岡市から福岡アジア文化賞を授与されています)
1988 年、タンの活動に触発された意欲的な若いアーティストが彼のもとに集まり、アーティスト・ビレッジ(芸術家村)が創設されます。ここで紹介するアマンダ・ヘン(王良吟)やリン・ポーテク(林保徳)も、そのメンバーでした。公共空間でのパフォーマンスを厳しく管理する政府の検閲をくぐりぬけるかのように、彼らはともに制作し、展覧会を開き、パフォーマンスを発表し、果敢に新たな表現を切り開いていったのです。

複数のものがたり―近年のシンガポール美術
2000 年代に入り、シンガポール政府は文化を重要な政策として位置づけ、国際展の開催(『シンガポール・ビエンナーレ』、2006 年~)、美術館・博物館などの整備、国際的な画廊の誘致、アーティストへの助成金制度の設置など、さまざまな面で芸術を支援しています。アーティストの活動も、国内外の展覧会/アーティスト・イン・レジデンス(滞在制作)への参加から、アートスペースの自主運営までみられ、かつてないほど多様化しています。ここで紹介する2005年以降に発表された映像作品も、そうした状況のなかで生まれました。
国内外の展覧会で注目を集めているホ・ズーニエン(何子彦)は、演劇的手法で、シンガポールの建国神話を再現し、「歴史」とは何かを私たちに語りかけます。そして、世界各地のアーティスト・イン・レジデンスに参加している新進作家のジュー・チュンリン(余春琳)は、メルボルンとシンガポールの町角で撮影した実写のアニメーションで、ユーモアと遊び心、そしてちょっぴり毒を含んだ、みずみずしい空想の世界を見せてくれます。

 

●ギャラリー・トーク3月29日(木)10:00〜11:00
会場:アジアギャラリーB(要観覧券)アデル・タン氏(シンガポール国立美術ギャラリー学芸員)