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作品リスト
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中国
▼平面
中国人家族のいる冬景色
作家不詳
■制作年 1810年頃
■材質/技法 油彩・画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
75.2×110.3×-
チャイナ・トレード・ペインティングと呼ばれる作品群がある。中国では「晩清外銷画」と呼ばれる清朝後期の西洋向け輸出用絵画のことである。この時代の中国を訪れた西洋からの旅行者は、異国で見た珍しい風景や習俗の記念に絵を求めた。そうした要請に応えて、中国人画家たちは、広州や香港に工房を構えて、肥大化した異国趣味に彩られ、西洋絵画の空間表現にならった絵画を作り出した。亜熱帯の広州や香港ではあり得ない冬景色を描いたこの絵は、作者が想像で描いたものであろう。全体は西洋絵画の遠近法によって構成されているものの、岩や樹木は、あきらかに中国絵画の伝統的な描法で描かれ、奇妙な空間を作りだしている。その統一を欠いた空間の不思議さが、逆に新鮮な魅力を生み出す結果ともなっている。
Project for Extraterrestrials No.4 私はE.T. 天神と会うためのプロジェクト
ツァイ・グオチアン(蔡國強)
■制作年 1990
■材質/技法 火薬、和紙、墨・画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
227.4×364×-
1987年から日本に滞在した蔡國強は、火薬の爆発を使った野外作品を日本各地で次々と発表して注目を集め、今やアジア人作家の中では欧米美術界で最も高い評価を受けるようになった作家の一人である。この作品は、福岡での都市空間を使った現代美術展である1990年の第1回「ミュージアム・シティ・天神」のための作品のプランであり、都心のビルの屋上ヘリポートを使って、当時日本各地で発見されUFO着陸跡と言われたミステリー・サークルを火薬の爆発で再現するプロジェクトが図解されている。このプランは実現しなかったが、地球規模の文明史への関心という壮大な思考と、中国人の発明である火薬を使ったスペクタクル性を特徴とする彼の初期作品の貴重な作例である。題名の「天神」は福岡市中心部の地名であり、かつ天の神を意味する。
リュ・ションジョン(呂勝中)
■制作年 1991
■材質/技法 紙(切り紙)
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
230.3×675.4×-
春節(中国暦の正月)をはじめとした祭事に、剪<き>り紙でつくられた動物や草花の飾りは欠かせない。それは中国人の生活に根ざした民俗芸術として今も生き続けている。リュ・シェンジョンのアーティストとしての出発点は、こうした民俗芸術、とりわけ剪り紙や年画にあった。それらは今でも彼の重要な表現言語であり、それをインスタレーションという現代的な話法で語ることで、民俗芸術の枠を超える作品を作っている。『○』は『○の負形』と対をなし、赤い紙を剪った際にできる模様の部分(ポジ=○)と残りの部分(ネガ=○の負形)を黒い紙に張り合わせたもの。人型は、中国の民間信仰で、死に瀕した人の魂をこちらの世界に呼び戻す際に使われる人形に基づく。それは、自らの芸術表現で現代社会の病を癒そうとする彼の重要なモチーフである。
シリーズNo.3
ファン・リジュン(方力鈞)
■制作年 1992
■材質/技法 油彩・画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
200×200×-
90年代初頭、天安門事件(1989年6月4日)の余波のなかで、若いアーティストは表現の不自由さや、美術家として先行きの見えない不安、矛盾にみちた体制への漠然とした失望感を抱えていた。当時画家としてスタートしたばかりのファン・リジュンは、そうした自分の立場と社会の雰囲気を鋭敏に感じ取り、表現した作家である。彼は、90年頃からスキンヘッドの自分をモデルに一連の油彩画を描き出した。奇妙に歪んだ顔をもつ男や不敵な笑いを浮かべる男。同じ男が一枚の絵の中に反復される。この現実にはあり得ない風景は社会の不条理を、幾つもの歪んだ同じ顔は、没個性を要求し、顔を歪ませる社会の不気味さを意味する。世の中を皮肉に表現する態度は「シニカル・リアリズム」といわれ、89年以降の中国現代美術界で主流をなした。彼はその旗手である。
山の野辺送り
ワン・ホンジェン(王宏剣)
■制作年 1994
■材質/技法 油彩・画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
179×199×-
人間は自然から生まれ自然へ帰っていく存在であると、ワン・ホンジェンは語る。この雄大な黄土高原での葬送は、そうした彼の考えを映しており、人は大自然の懐深くに抱かれている。この作品の地平線を上にもっていくことで作り出された雄大なスケール感は、ワン・ホンジェンが実際に黄土高原を取材して得た実感を伝えているが、他方で、一様に正面向きに座る人々は、彼が記念写真や雑誌のグラビアに強く影響を受けたことを示している。真に迫るような鍛錬された写実の技法は、写真をもとに情景を再現するのに最適であるだろう。こうした写実主義によるアカデミックな作品は、現在でも、中国の美術界はもとより一般の間で人気があり、ワン・ホンジェンはその代表的な画家である。
我、北京天安門を愛す  #29
ルオ三兄弟(羅氏三兄弟)
■制作年 1996-97
■材質/技法 写真、コンピューターグラフィック、水彩、漆・板
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
64.8×55.1×-
中国伝統の年画は、新年の部屋の壁や扉に、吉祥図様の絵を貼り、家内の安寧と繁栄を願うものである。そのポップで派手でめでたい図様は、中国民衆の美意識そのものの反映であり、文化大革命の時代も政治的なプロパガンダに形を変えて、しぶとく生き残った。羅氏三兄弟は、漆職人であった父親の技術を受け継ぎ、兄弟による伝統的な分業体制で漆絵を制作しているが、その表現世界はきわめて今日的なものある。彼らは、伝統年画の吉祥図様を借用し、そこに中国をすごい勢いで席巻し始めた消費文化のシンボル、コカ・コーラ、マクドナルド、ソニー、携帯電話などをコラージュして、ふしぎに祝祭的な今日の「年画」を作り上げている。タイトルは、彼らの少年時代に、町にあふれたスローガンから採られたものである。
▼版画
「アンカー・ビール」ポスター
ハン・ジイン/ジイン画室(杭穉英/穉英画室)
■制作年 1930年代
■材質/技法 オフセット・紙
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
72.1×49.8×-
新興の国際都市として躍進著しい1920-30年代の上海で、おしゃれな舶来品に人々の欲望を駆り立てたのはポスターだった。もともと中国には「年画」と呼ばれる、新年の室内を飾る吉祥図像の木版画があり、これがカレンダー付きの印刷年画となり、大量に流布されるようになる。広告ポスターは、このカレンダー年画の形式を利用し、「近代生活」の幻想をふりまき、大衆のあこがれと欲望をあおった。ポスターのモデルは、当時の銀幕スターたちであり、旗袍(チャイナ・ドレス)は、1925年頃に上海で流行した最新のファッションである。このポスターは、当時最も人気のあった「穉英画室」で作られたと推測される。その工房には数十名の画工が働き、毎年80種類ものカレンダー年画を量産したと言われる。大量生産、大量消費の時代を象徴する新たなヒロインの誕生である。
析世鑑 解字卷一
シュ・ビン(徐冰)
■制作年 1988
■材質/技法 木版・紙(巻子装)
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
70.5×570×-
巻子にならぶものは、一見漢字のようでありながら、実際にはシュ・ビン自身が漢字の偏<へん>や旁<つくり>を組み替えて再構成し創り出した文字である。彼は、「康煕字典」を参考に独自の法則を作り、それに従い一つ一つの文字を設計、版木に彫り、伝統的な書物の形式をふまえて印刷している。4000にものぼる、実社会では通用しない、意味を為さない文字を4年もの歳月をかけて創ったという。シュ・ビンが費やした気の遠くなるような時間と労力は、普通に考えれば徒労であるだろう。だが、この徒労、ナンセンスそのものを、シュ・ビンは表現したかったのである。実社会においてナンセンスと思われることをアートとしてみせることで、むしろ不条理や欺瞞に満ちた腹立たしい現実が見えてくるように思われる。
▼映像
いいようのない快感
ジャン・ペイリー(張培力)
■制作年 1996
■材質/技法 ビデオテープ(4本組)、29インチモニター(12台組)
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
-×-×-
29インチのテレビモニター12台で上映するビデオ作品。3台ずつ4種類の映像が流れ、肩、腕、腰、足を掻く行動が繰り返される。皮膚が赤くなっても掻くことをやめない人間の異様な行動は、一種の自虐的な「柔らかな拷問」であると同時に、その拷問がいつしか一種の「快感」とでも言える感覚へ変わることを示している。ジャン・ペイリーは、90年代初めからビデオ・アートに取り組んできた。一貫して、単純な行動の反復を表現することで、文革から現在までの中国社会で彼が感じてきた心理的な圧力や、グローバルな規模で画一化がすすむ社会の閉塞感、慣れることで無感覚になっていく人間性を語る。本作品は、当館所蔵の洗面器で鶏を延々と洗い続ける『ドキュメント:衛生№3』(1991年)と並ぶ彼の代表作である。
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