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作品リスト
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タイ
▼平面
はすの葉の中の生の反映
プラトゥアン・エームチャルーン
■制作年 1980
■材質/技法 油彩・画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
127.4×135×-
タイでは仏教を題材とする装飾的な絵画が今でも人気を集めているが、この作品は、蓮の葉という仏教的な題材を扱いながらも、伝統的な図像や様式に頼らずに特異な精神世界を表現している点が特質である。ここに見られる、細部の極端な拡大や原色の使用は、プラトゥアン・エームチャルーンが若い頃に経験した映画の看板の手法を思わせるが、より重要なのは、蓮の葉一枚という小宇宙<ミクロコスモス>にも自然という大宇宙<マクロコスモス>が宿るという彼の自然観である。その自然観は、太陽光をプリズムのような原色に分割し、微少な細部にも輝きを与える光の表現にも現れている。なお彼は貧困の中で独学で絵を学び、1970年代にはタイの社会や政治の問題を扱い反軍政の学生運動を支持した。この作品にも、現実の社会が与える苦しみを救済するという願いがこめられているのかもしれない。
マーラの戦い
タワン・ダッチャニー
■制作年 1989
■材質/技法 油彩、エナメル、画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
176.2×285×-
モノクロームの大画面には、瞑想するブッダの顔が中央に浮かび、その周囲を凶悪なマーラ(悪魔)たちが取り囲む。牙をむき出したその凶暴な顔つきと、暴力的なまでの肉体美。白と黒だけの簡略な描き方は、さらにこの迫力を増幅させている。しかし、ときに性的な描写をも含んだタワン・ダッチャニーの作品は、仏教に対する冒涜だとして、かつて衝撃的な事件を巻き起こした。すなわち、彼が5年間のオランダ留学を終えて間もない1971年、80人もの学生によって多くの作品が切り裂かれたのである。しかし、彼の作品は決して仏教的世界観を否定するものではない。彼の内的世界にあっては、このまがまがしく圧倒的な描写も静寂な悟りの境地と破綻することはなく併存するのである。衰えぬ描写力を留める本作品は、当時与えたその衝撃を十二分に伝えている。
花よ、人は死んだらどこへ行くのか
チャーチャーイ・プイピア
■制作年 1997
■材質/技法 油彩・画布
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
239.2×280.1×-
1986年にタイ美術界の名門、シラパコーン大学を卒業後、次々と有力美術展に入賞してきたチャーチャーイ・プイピアは、身近な現実から新たなイメージを紡ぎだしてきた。この作品では、まるで首を切り落とされたかのような巨大な作者自身の頭部が、赤く染まった地面にごろりと横たわる。実はこの不気味なイメージは、作者が父を看病していたときに見た、父の死にゆく目の印象から生みだされたという。そして、その虚ろに見開かれた目には、タイで葬式のときに飾る白い花が落ちかかっている。作家はこの白い花に父の死を問い掛けたのであろうか。画面をおおう巨大な死のイメージに、切ない生の残照が映し出される。
▼立体
音楽のリズム
キエン・イェムスィリ
■制作年 1949
■材質/技法 ブロンズ
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
53×39×36
細く艶やかな肢体と、笛を吹く優雅な身のこなし。笛に息を吹き込むために軽く頭を傾<かし>げ、その身を大きくくねらすポーズは、首筋から背中、腰へと伸びるしなやかな曲線を生みだしている。キエン・イェムスィリは、タイの古典様式であるスコータイ彫刻を手本とすることで、この優美な身体表現を獲得したのである。しかし、本作品の魅力は、それだけに留まらない。反り返る足の親指と、少しつりあがる口元。優美な人物像に、笛を吹く瞬間のピンと張りつめた緊張感が生まれる。古典様式の単なる再生に陥らない、タイ近代美術として生まれた名品である。そして、この緊張感ある作品を生み出せたのも、タイ近代美術の拠点シラパコーン大学で西洋の写実的な彫刻技術を身につけたキエン・イェムスィリだからこそであろう。
喜捨
モンティエン・ブンマー
■制作年 1992
■材質/技法 テラコッタ、鋼鉄、金箔
■サイズ
(高さ×幅×奥行)
66×300×260
1988年、3年間のパリ留学から帰国したモンティエン・ブンマーの存在は、当時のタイ美術界にとって強烈なカンフル剤となった。彼は自ら革新的な作品を発表するとともに、チェンマイ大学を拠点として、多くの才能を育成していったからである。托鉢をテーマとした本作品では、仏教国タイの日常的かつ伝統的なモチーフが、洗練された現代的なイメージへと変貌を遂げている。それは目に見えない何かを感じさせる作品ある。ここでは、鉢を持つ手を直接的には造形化せず、持つ行為の痕跡を粘土に留めおくことで、手の存在をほのめかしている。そして、重厚な作品上部は先の尖った細い脚が支える。重厚なボリューム感と繊細な造形感覚とが、しばしば危うい緊張感の上に成り立ち、それが見る者の知覚をさらに刺激しようとするのである。
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